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花巡礼 名桜古木撮影記(2001年以前) |
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古木には殆どが名前がついていて土地の人々との深いかかわりがある。そんな由来の説明や桜への自分の思いに加え撮影ガイドを記載してあります。
桜の名前をクリックすると写真にジャンプします。 |
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apr. 1 1991 |
八橋のうばひがん 満開 晴れ |
国道257号線を設楽大橋から右に県道10号線をしばらく進むと右の山側に見えてくる。廃校(現在は常滑市の野外教育センターと思う)の辺りから長めのレンズで写すと綺麗に浮き上がる。 |
龍洞院の枝垂桜 満開 晴れ |
粟代(あわよ)桜とも呼ばれ昔はボリュームたっぷりの花をつけていたが、近年大変樹勢が衰えていて、養生に努めているようだ。
今は支柱に支えられ、枯れ枝も目立つ。早く元気になってもらいたい。 |
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apr. 14 1992 |
金龍寺の枝垂桜 満開 晴れ |
この樹を植えた住職の名から「大秀桜」と言われている。樹勢が衰えて近年回復手術が施された。
寺の駐車場からの姿が美しいが電線・電柱を避けきれないのが残念だ。 |
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apr. 18 1995 |
勝間薬師堂のしだれ桜 満開 晴れ |
勝間の薬師堂にある桜で3本あるが、2本の枝垂れ桜が見事な花を咲かせる。開花は小彼岸桜で有名な高遠桜から数日後になる。
高遠城跡から国道152号線を長谷村の方に向かえば左の丘に見事な桜が眼に入る。遠目でも綺麗にみえはするが電線・電柱が目障りだし、近くに行ってもガードレールが邪魔になる。裏側の山に少し登り俯瞰撮影すると邪魔なものは少なくなる。
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apr. 20 1996 |
遠山桜 満開 晴れ |
明智町の市街地は日本大正村として賑わっているが、ここに明智遠山家の屋敷址があり、庭には桜の古木がある。遠山の金さんは明智遠山家の分家にあたり、「この桜吹雪が・・・」はこの桜がヒントなのかも・・・?。なお正式名称は「八斗蒔の彼岸ザクラ」というらしい。
根元は見えなくなるが、明智川越に見たほうが美しく、重厚な樹形が表現できる。 |
土々ヶ根(ドドガネ)のシダレザクラ 満開 晴れ |
若い樹だが美しい樹形で、後世に残したい桜だ。
恵那農林高校からそう遠くなく、近くにテニスコートや喫茶店がある。撮影は、このテニスコートや喫茶店の処理をうまくする必要がある。 |
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apr. 13 1997 |
淡墨桜 満開 晴れ |
継体天皇お手植えの桜と伝えられ、蕾は薄いピンク、満開の時は白、散り際には薄い墨色を帯びてくることから薄墨桜と呼ばれている。
開花の時期は多くの観光客で賑わい、道路も込んで時には大渋滞になる。昨今は平日の早朝でも観光客やカメラマンも多く、人の写り込まない写真を撮るのは非常に困難。 |
apr. 26 1997 |
臥龍桜 満開 晴れ |
樹形が龍が臥しているように見えることから臥龍桜と呼ばれている。薄墨桜、荘川桜と共に岐阜県の三大桜とも呼ばれ開花の時期は多くの観光客で賑わうので、撮影は早朝、出来たら平日に。しかし、後方は比較的人が行かないので、薄墨桜や荘川桜より楽に撮影できる。 |
浄福寺のしだれ桜 満開 晴れ |
浄福寺の枝垂れ桜として町の天然記念物に指定されている。1803年新吉原の遊郭から浄福寺に梵鐘が寄進された時、遊女達の願いで新吉原の桜が運ばれ梵鐘の脇に植えられた。このことから遊女桜、吉原桜と呼ばれている。
ここも狭い場所で、電線が上空をはしっている。 |
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apr. 24 1998 |
駒つなぎの桜 満開 晴れ |
源義経が奥州へ落ち延びる途中、馬を繋いだ桜といわれることから、駒つなぎの桜と呼ばれている。樹齢については300年とも800年ともいわれている。300年では時代考証に一致しないが、800年の樹齢には見えないような気がする。(2〜3代目なのかも)
開花時は、田にわざわざ水が張られ、水面に映る桜が美しくカメラマンが多数訪れる。朝靄もよく発生するが、撮影場所が狭いので、近年は徹夜に近い場所確保が余儀なくされる。また、休日は下の駐車場以降から車の乗り入れが禁止され、10数分位だが歩かなければならないし、駐車場もすぐに満車になる。 |
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apr. 3 1999 |
奥山田のしだれ桜 満開 晴れ |
持統天皇が三河富士と呼ばれる村積山へ行幸の際のお手植えの桜と伝えられている。樹齢については、持統天皇お手植えなら確かに1300年以上だが、素人眼にも薄墨桜や臥龍桜と比しそうは見えない・・・。
桜に向かう道路からの写真はバックの林に花が浮かび上がる。 |
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apr. 1 2001 |
宝円寺の枝垂桜 満開 晴れ |
宝円寺開山の記念に植えられたといわれている。一時衰弱したが今は美しい花を咲かせる。
ここも電線・電柱の処理が困難。 |
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